タグ: 矢穴

  • 旧崇広堂の矢穴石をめぐる

    旧崇広堂の矢穴石をめぐる

    文政4(1821)年、津の藩校であった有造館の支校として建てられたのが崇広堂。

    旧講堂に掲げられている扁額(扁額)は、上杉鷹山の筆で、名君と名高い当時の藩主・藤堂高兌(たかさわ)が懇請して手に入れたものなのだとか。


    入口の表門、訪れた日には「高虎と上野城」という素晴らしい展示がされておりました


    門や塀の下には矢穴石がちらほら


    伊賀上野城に関係する石なのだろうか?


    藤堂高虎関連の展示もじっくり見学してきました


    建造物としても見どころ満載


    しかし、やはり気になるのは矢穴石


    中庭にも何個か矢穴石がありました


    これが上杉鷹山公筆の扁額!細井平洲先生のファンとして、こちらを拝見してテンションが上がりました


    旧崇広堂

    場所:三重県伊賀市上野丸之内78−1

  • 伊賀上野城の刻印・矢穴石をめぐる

    伊賀上野城の刻印・矢穴石をめぐる

    本丸西にある高石垣の草刈りが行われたという情報を入手し、あると噂されていた「序数刻印(下からカウントアップしていく漢数字の刻印)」を探しに行ってきました。


    草刈り後の高石垣!北側からと西側から


    双眼鏡を除くと、思っていたより見づらい…


    陽がちょうどよく差す午後を待ち、城下町を散策


    クランク状の名残がある西大手門跡


    本丸にあった新たな矢穴の断面がある石


    矢穴交差点と勝手に呼んでいる石


    午後になり、いざ序数刻印!…と思いきや、雲が広がり陽が上手く差さず。残念ながら刻印探索これにて打ち切り。


    伊賀上野城

    場所:三重県伊賀市上野丸之内106

  • 大阪城の矢穴石をめぐる

    大阪城の矢穴石をめぐる

    大阪城内にある刻印石を除く面白い石たちを見てまわりました。


    噴水広場の矢穴石

    大きな矢穴石が芸術的に展示


    玉造門跡付近にある転用石

    逆さに「奉納」と刻まれたらしき石がありました


    山里口出枡形にある転用石と矢穴断面

    山里丸から坂を上り右側を見ると転用石があり、その一段上にある銃眼に矢穴の断面があります


    天守台北側の矢穴断面

    中央下側、目線のやや上あたりで発見


    青屋門付近の矢穴石

    内側やや北あたりの目立つ矢穴石、矢穴列の右端が断面


    桜門付近の矢穴断面?

    本丸の南側にある桜門内側、矢穴の断面にも見えるがはたして…


    大阪城

    場所:大阪府大阪市中央区大阪城1−1

  • 伊賀上野城の矢穴石をめぐる

    伊賀上野城の矢穴石をめぐる

    伊賀上野城は筒井定次により築城され、その後慶長13年(1608年)に藤堂高虎が伊賀の地に入り大改修を行いました。この時の改修は対豊臣氏を意識して行われ、大坂城側にあたる西側に高石垣を築いたといわれております。

    現在ある復興天守は、昭和初期に川崎克氏が私財を投じて建てたもの。「伊賀文化産業城」という別名もあるそうな。


    北側の搦手にある階段、こちらにも矢穴石が


    大納戸蔵跡あたりの西側、大きめの矢穴石がたくさん


    矢穴痕の断面らしきもの発見!


    比較対象はiPhone17、矢穴痕の大きさが一目瞭然


    城代屋敷跡の南側、隅石にも矢穴痕がたくさんあります


    天守台の石垣、やや小ぶりな矢穴痕が多い印象


    でかい矢穴痕もまじっておりました


    ここにも矢穴痕の断面らしきものがあります


    恐怖スポットの高石垣、こちらの面に刻印があるのだとか


    高石垣西南側の天端石にある掘りかけの矢穴石


    伊賀上野城

    場所:三重県伊賀市上野丸之内106

  • 方広寺の矢穴石をめぐる

    方広寺の矢穴石をめぐる

    豊臣秀吉が文禄4年(1595年)に日本一の大仏をつくるため創建された方広寺。初代大仏は地震で倒壊→大仏殿とともに焼失し、新たに大仏殿を建立する際に有名な「方広寺鍾銘事件」が起こりました。

    大仏殿跡から豊国神社・京都国立博物館にまたがり現存する西側の石積みに矢穴石があります。


    大仏殿石垣という石碑が立っている横の矢穴石


    比較的小さく浅い痕の残る矢穴石


    縦撮りじゃないと無理なほど巨大な矢穴石!


    ここから豊国神社のある石積みあたり、案内板裏にも矢穴石


    中央左下に「△」の刻印らしきものがある矢穴石


    広角レンズでぎりぎり撮れた矢穴石


    巨石を支える小さめの矢穴石たち


    中央やや左、白い石の右側に矢穴痕


    方広寺

    場所:京都府京都市東山区茶屋町527−2

  • 津城の刻印・矢穴石をめぐる

    津城の刻印・矢穴石をめぐる

    天正8年(1580年)に織田信長の弟・織田信包が築城、 慶長16年(1611年)に藤堂高虎が大規模な改修を行った城。

    代々藤堂氏が治めておりましたが明治時代に廃藩置県により建造物は破却され、現在は昭和に建てられた三重櫓(模擬)が残っています。


    模擬三重櫓のある東壁、「三」ではなく「一二」の刻印


    模擬三重櫓の下あたりにある転用石


    本丸内の東側、天端石にある「丸に大」刻印


    本丸内北側にある「十」刻印


    中央やや下あたり、逆さになった「い」刻印


    中央の扇子のような刻印と左下の「一二」刻印


    戌亥櫓跡南の石垣を、下からのぞきこんだら矢穴列


    珍しいとされる矢穴痕の断面を発見!


    もう一つ矢穴痕の断面発見、珍しいのだろうか…


    東多門櫓跡下の石垣にあった目立つ矢穴石


    左下に「琴柱」と思われる刻印、右隣に「〇」内に何らかの刻印


    津城

    場所:三重県津市丸之内5−1