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  • 伊賀上野城の矢穴石をめぐる

    伊賀上野城の矢穴石をめぐる

    伊賀上野城は筒井定次により築城され、その後慶長13年(1608年)に藤堂高虎が伊賀の地に入り大改修を行いました。この時の改修は対豊臣氏を意識して行われ、大坂城側にあたる西側に高石垣を築いたといわれております。

    現在ある復興天守は、昭和初期に川崎克氏が私財を投じて建てたもの。「伊賀文化産業城」という別名もあるそうな。


    北側の搦手にある階段、こちらにも矢穴石が


    大納戸蔵跡あたりの西側、大きめの矢穴石がたくさん


    矢穴痕の断面らしきもの発見!


    比較対象はiPhone17、矢穴痕の大きさが一目瞭然


    城代屋敷跡の南側、隅石にも矢穴痕がたくさんあります


    天守台の石垣、やや小ぶりな矢穴痕が多い印象


    でかい矢穴痕もまじっておりました


    ここにも矢穴痕の断面らしきものがあります


    恐怖スポットの高石垣、こちらの面に刻印があるのだとか


    高石垣西南側の天端石にある掘りかけの矢穴石


    伊賀上野城

    場所:三重県伊賀市上野丸之内106

  • 津城の刻印・矢穴石をめぐる

    津城の刻印・矢穴石をめぐる

    天正8年(1580年)に織田信長の弟・織田信包が築城、 慶長16年(1611年)に藤堂高虎が大規模な改修を行った城。

    代々藤堂氏が治めておりましたが明治時代に廃藩置県により建造物は破却され、現在は昭和に建てられた三重櫓(模擬)が残っています。


    模擬三重櫓のある東壁、「三」ではなく「一二」の刻印


    模擬三重櫓の下あたりにある転用石


    本丸内の東側、天端石にある「丸に大」刻印


    本丸内北側にある「十」刻印


    中央やや下あたり、逆さになった「い」刻印


    中央の扇子のような刻印と左下の「一二」刻印


    戌亥櫓跡南の石垣を、下からのぞきこんだら矢穴列


    珍しいとされる矢穴痕の断面を発見!


    もう一つ矢穴痕の断面発見、珍しいのだろうか…


    東多門櫓跡下の石垣にあった目立つ矢穴石


    左下に「琴柱」と思われる刻印、右隣に「〇」内に何らかの刻印


    津城

    場所:三重県津市丸之内5−1